2016年3月21日月曜日

ソニー子会社エンジニアが無職になった話

国立の大学院を出た2000年頃からメンタルの疾患があった。不眠と過眠が交互にくるもので、眠り始めても2,3時間経たないと眠れなかったりあるいは明け方まで寝られなかったりする不眠と、起きようとしても起きられず長い時間寝てしまう過眠が両方ある体質となってしまった。

このため歴々の職場では「怠け者」「気合が足りない」「頑張ればできる」と言われ続け、技術的には及第点(Aランクではない)だったとしても、勤務について注意される日々が続いた。睡眠外来に行かず長い間この状況を放置したのもいけなかった。

そして最近では勤務開始から数ヶ月は普通に勤務できても、遅刻が目立ち、欠勤が目立ち、最終的にほぼ馘を切られる形で自己都合退社をすでに3社ほどしている。

決して順調な社会人生活ではなかったと思う。ソニーの子会社に7年ほど勤務した。それなりの年収を貰っていたこともある(ここでは明言しないが)。「君がいないと製品が出ない」と言われたこともある。それに対して「遅刻しなければもっと評価は高いから遅刻しないようにしろよな」と建設的な意見をもらったりするのだが、遅刻と欠勤は常に隣り合わせで、最近ここ数年特にひどい状況であった。ソニーグループは技術者としては優秀な人が多いのだが、人を大切にしない文化があった。

やる気も足りない病気である。やる気を出せと言われても出すやる気が足りないのだからしょうがない。だがそれは薬でなんとかなる。問題は過眠と不眠のコンビにより、社会人として最低限の「通常の勤務」ができないことであった。

こんな不調にも関わらず、自分の技術を磨くことに関しては常に実践してきた(だが繰り返すがAランクではない)。C / C++ / Java / C# / Windows Device Driver / Python / Unity3d / Android Apps / iOS Apps / コンパイラ開発 / 静的処理系開発 / Julia そして様々なNDAのライブラリ達やVxWorks/組み込みLinuxなどの様々なOS環境。

技術を磨くことは楽しかった。そして色々な技術を通して、自分を高められたのは技術者としては幸せであった。ただ常に遅刻、欠勤と隣り合わせだったし、評価は決して高くなかった。勤務が順調であれば辞めた会社にまだまだお世話になっていたかもしれない。

こうして2/8に最後の会社で正社員からバイトになり、さらに2/29を持ってそれも打ち切られ無職になると、これからどうしたらいいか、予想も付かづただただ未来に震える子羊となってしまった。

今は勤務のゆるい会社や、フリーランス、自宅でできる職を中心に探している。といってもフリーランスでも自宅でできる職種は少なく選択肢は限られている。英語はある程度できるが、GitHubやその他の在宅勤務を推奨している環境で働けるほどのスキルは多分ない。

幸い趣味は充実していた。2010年に将棋ソフトを作った。メカウーサーという。これが後にメカ女子将棋となって多くの人に応援してもらった。作者として幸いであった。にもかかわらず勤務は失敗の連続だった。将棋ソフトを自作できるだけのスキルがありながら。働けるだけのスキルがありながら。そこが悔しい。

今こうして自分を振り返ってみて、もう少しなんとかできたのではないかと言う思いと、病気を抱えてよく頑張ったという思いが半々である。病気はなりたくてなるのではない。ある日突然その不幸は襲ってきて、僕の生活の潤いを奪い去っていった。成りたくて病気になる人はいない。

なので僕と触れ合った皆様に僕の勤務での失態の数々を詫びるとともに、今となってはそのことについて、病気で出来なかったということを理解してほしい。

そうして僕にアドバイスがある方は、僕にアドバイスしてほしい。僕はこれからどうすればいいのか。そしてどこに向かえばいいのか。

本当はこんな私的なことを書くべきではないかもしれない。だがもう袋小路である。

今はただただ悲しく、そして自分をどうしたらいいか、毎日迷いながら生活している。僕のようなメンタルに病気のある人は採らないのが企業の希望ではあると思うけど、僕も病気の人間として生きていかなければならない。そのために技術者として何ができるかを考えていきたい。

最後に、タイトルは意図した釣りであって、企業の業績と僕の退職は関係ないことを付記しておく。純粋に勤務ができていなかったことが、自己都合退社の原因でした。そしてちゃんとした勤務ができない社員は企業として看過できないという事実なのでした。結果として用がなければポイ捨て、ではあるのだけれど。