色々自分の中でコンピュータ将棋と棋士の方の関係についてモヤモヤしているのだけど、コンピュータ将棋開発者にとっては勝って得るものしかなく、棋士の方にとっては負けて失うものしかない、という立場の違いがあるのでは、と思い始めている。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
コンピュータ将棋のソフトが負けても、おそらくその作者は辛いけどコンピュータ将棋コミュニティが危機に晒されることはない。それに対して棋士の方が勝てば棋士の尊厳を守ることにつながる。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
反対にソフトが勝てば作者は嬉しいがコミュニティ全体が応援していて嬉しいということにはならないんじゃないか。棋士が負ければ自分の負けではなく棋士の尊厳を守れなかったという烙印を押されてしまうのではないか。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
コンピュータ側はどう見ても有利で、年々ソフトの質とコンピュータハードウェアの性能を上げるだけで勝ち上がることが容易(とまでは言わないけど)な立場にある一方、棋士の方は本当に職を失うことまで考えている方もおられるのではないかというくらい深刻な問題だと思う。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
本当に勝ちたいという気持ちはソフト作者も棋士の方も同様だけど、背負っているものが違いすぎるのではないかと思う。いま上位ソフト陣でソフトが勝てないと食べていけない人がいるだろうか。それに対して、棋士の方たちは本当に真剣に得体のしれないコンピュータという敵と戦っているのではないか。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
そういうことが混ざり合って、結果としてコンピュータがこれ以上強くなって誰が幸せになるのか、という問いに、その結果が出る前に答えを出さなければいけない時期に来ているのではなかろうか。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
だから、僕はコンピュータ将棋勢でありながら、本当に真剣に生活の掛かっている戦いをしている棋士の方を、応援したくなるのです。その背中を見て、「僕にも何か、できないだろうか」と思ってしまうのです。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
何故棋士の方達はその不利な戦いにあえて挑んでいるか、それは棋理の追求というもっと大きなものに突き動かされているからなのではないかと思う。それはきっと生活とかよりももっと大きなもので、抗えない運命を伴う崇高なものなのではないかと僕は感じている。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin もう答えは出てますよ。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook えっ、そうなの〜/(^o^)\
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin 今日も答えの一つですよ。
いままで土かぶって埋もれてたマンホールあけたんですから。
将棋の子はしばらくこのマンホールの下探検して遊べます。
それが幸せと感じる子たちなんです。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook 棋理の追求、ということでしょうか。。。?
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin コンピュータ将棋がでる以前に、昔の棋士はあえて深い研究はしなかったんです。無限のような有限であることは知っていたからです。
でも根がそういう子たちなので、結局自分たちで扉あけちゃったんです。
それは自らの食い扶持を粒しかねないとわかっていたけどしちゃったんです。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook なるほど。。。もっと大きなものに動かされているわけですね。。。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin 知る喜びが人間の根源で、その先を進んで、いまはもう手詰まり感すらでてきていました。でも人間にとって脅威とも思えるコンピュータが、そこ子たちの遊び場を広げてくれたんです。世界はもっと広いんだと教えてくれています。
食える食えないは「あり方」でしかないんです。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook いまコンピュータによって将棋は新しい局面を迎えた、ということですね。食える食えないは在り方という考え方、残酷ではありますが将棋の子が選んだ道なのですね。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin 残酷なようですが、他の世界ではあたりまえの事です。
数百年同じ形態で産業として残ってる業種の方が少ないのですから。
だから、ある人達は「伝統文化」にしたがりました。それで守られるからです。
だからコンピュータが敵である必要がありました。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook 僕は物事の表面しか見ていなかったような気がしてきました。ありがとう。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin SFチックな話になりますけど、コンピュータが自らを生産する社会になれば、そのうち開発者も同じ境遇になるでしょう。その時コンピュータのせいで人間は要らないとはならないですよ。むしろ人間らしい人間をはじめますよ。
忘れるから覚える人が凄いとかね。それが人間らしさです。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@kimrin もうちょっと、将棋もそうなってきてます。
コンピュータもすごいけど、人間やっぱすごいって。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook いままさにコンピュータ将棋というものが強くなってきて「人間にできる本当の将棋という技芸は何なのか」が問われ直されているってことですね。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin そう、下ネタらしい下ネタってなんなのかってね。
答えは、
「ツイッターのきむりんさん、やっぱむりです…」
です。
これが人間らしさ。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook そうですね、棋士の方がコンピュータの新手を取り入れたり、のことですね!
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@ranging_rook やっぱ無理w やっぱ無理w
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
なんか自分の中でコンピュータ将棋と将棋棋士の方の在り方について、だいぶスッキリとしてきた!
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin 私はもとから総合芸術が好きなので、メカ女子さんみたいな新たな将棋の形はすきですよ。これも答えでしょう。強さとは関係ないけど…
でも、将棋って人間にとって何ですか?っていう問いをコンピュータの登場でつきつけられたのなら、メカ女子みたいな形の楽しみ方も答えの一つです。
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook メカ女子、ただのへぼ(失礼w)ではなくて、アートの新しいカタチなんですね、大切にしたいです(^^) メカ女子的な楽しみ方を提案していけたらいいですね。強さではない、明後日方向への進化w
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@ranging_rook ところで、いまのやりとりを元にブログ記事とかにまとめて取っておきたいのですが、発言の引用はOKですかー? なんか不躾なお願いですんません。。。
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
@kimrin ツイッターのきむりんさん、やっぱ無理です。
まで含めておkです
浅い事しかしゃべってないですけど
— COCO (@ranging_rook) 2015, 4月 4
@ranging_rook やっぱ無理ですはちょっとw 今日1日寝かしてみて、あした文章に起こしてみようかなと思ってまーす。キチョハナカンシャwです!!!(いい意味で)
— きむりん(遺伝子組み換えのきむきむ) (@kimrin) 2015, 4月 4
>結果としてコンピュータがこれ以上強くなって誰が幸せになるのか
返信削除少し論点は違うかもしれませんが、ポナンザの山本一成さんのブログをはっとかないといけない気がしたので書き込みます。
http://ponanza.hatenadiary.jp/entry/2014/04/11/034549
http://ponanza.hatenadiary.jp/entry/2014/04/17/010233
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080223
お返事ありがとうございます。
返信削除正直ちきりんさんの文章は一度も読んだことがないのでなんともですが、ラッダイト運動については参考になりましたです。
対話を全部を読んでいただけるとわかるのですが、この対話、前半と後半で違う論旨で進んでおり、後半が結果として私がCOCOさんと得た知見です。
つまり機械が憎い、とか、過去に戻れ、と言っているのではなく人間は人間らしさってものが何なのか、将棋を通して表現していかないとね、というお話なのです。
なので実はぽなんざさんの趣旨と僕の趣旨、実は(大雑把に言うと)一致致します。